続くオリンピックの呪い
オリンピックの歴史と相場への影響とは?
こんにちは、マーケットの魔術師 奥村尚です。
麻生副総理が、昨年呪われた東京オリンピックと発言したのをご記憶の方も多いと思います。
1936年8月1日に、4年後の1940年にオリンピックが東京で開催されることが決まりました。
当初10都市が名乗りを上げ、東京、ローマ、ヘルシンキの3都市に絞られ、ローマが有力でした。
当時日本は満州事変の最中で、国際的には煙たがられていたのです。
イタリアはムッソリーニが独裁者として君臨していたのですが、
イタリアは日本の懇願もあって辞退、ヒトラー率いる独の協力もあって、
日本での開催が決まったという歴史があります。
1936年といえば、日独伊三国同盟の前段階となる日独防共協定が11月に日本とドイツの間で調印され、
1937年にはイタリアも現署名国として加盟しています。
あまり知られていませんが、その後この協定はハンガリー、スペイン、満州国を入れた6か国の条約となりました。
イタリアの協力で日本での開催が決まった東京オリンピックは、そんな時代背景があったんですね。
日本は中国と全面戦争に突入していましたが、IOCから戦争が終結しないのであれば
開催できない趣旨のメッセージを受け、東京はオリンピックを返上します。
こうした話を、2020年の東京オリンピックの1年延期と重ねて呪われた東京五輪、と名付けたのでしょう。
しかし、東京とは別に、日本でのオリンピックという点でも、呪いは続くかもしれません。
過去全て、開催年に政権交代が起きています。
1964年10月東京オリンピック
オリンピック閉会式翌日、池田首相が辞任、池田裁定で後継者として指名された佐藤内閣発足
交代原因は、病気だったようです。
1972年2月札幌オリンピック
同年5月、佐藤派の幹部であった田中角栄が大勢を引き連れて田中派を結成、そのまま
総裁選を勝利し田中角栄政権発足
交代原因は、派閥幹部が子分を引き連れて独立、そのまま総裁になったことでした。
1998年2月長野オリンピック
同年7月、橋本首相のもと参院選を行ったが大敗、橋本内閣総辞職。小渕内閣発足。
交代原因は選挙の大敗です。
今年、東京オリンピック後には、どのような展開があるのか、
どういった呪いがかかられているのか、目が離せません。
でも、選挙という不透明なイベントを通過すると、不透明さが取れて透明になります。
相場というのは、不透明さを嫌気するものなので、選挙の結果はどうあれ、
選挙が終わるというのは相場にとっては価値がある事になります。
このブログではみなさんの資産運用のお役に立てる情報として、
金融、為替(FX)関連のマーケット動向や予測なども随時配信していきますので
次回の記事もご期待下さいね。
では、また次回をお楽しみに!
マーケットの魔術師 奥村尚
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